11ゴア(色濃く残るポルトガル文化)
ーーーーゴア (南西部) ゴア州 かつてはアジアとヨーロッパの中継地点
450年間にわたりゴアはポルトガルの植民地であった
インドがイギリスから独立した後も しばらくの間 ポルトガルの植民地だった
ゴアは歴史的価値はもちろんリゾート地としても人気の観光地である
ずっとポルトガルに支配されて来たゴアはイギリス統治に比べ緩い支配だった
マンドヴィ川の丘にたたずむ小さな町 かつてはイスラムの町であった
1510年 インド航路を発見したポルトガルはその丘を占領し東西貿易の拠点とした。
そして丘の上に新たな街を建設した。ゴアにやって来た修道士は密林を切り開き教会や修道院を建てていった。
ポルトガルのリスボンを模して造られたその町は黄金のリスボンと呼ばれるようになった
(バスコダガマ門 ふくおう門)
かつて船でやって来た人がくぐったゴールデンストリートへとつながる門
ゴールデンストリートは 昔 多くの商店が立ち並んでいたが今はちょっとした森となっている
門の上には小さなバスコダガマ像が立っている
ポルトガルは香辛料を手にする以外にキリスト教の布教も目的にしていた。
ゴアの町では60カ所もの美しい聖堂や修道院が競って建てられた
(聖カジェタン修道院)
中央にドーム屋根があるヒンドゥー寺院を改築して造られた教会
祭壇には南インド伝統の彫刻がある
(アッシジの聖フランシスコ修道院)
(セ カテドラル)ゴアで最も大きい教会
1562年にイタリアの教会を真似て100年かけて作られた
現在残っているものは16世紀から60年かけて修復された建物
(山にあるヒンドゥー寺院)
ポルトガル占領時代 ポルトガル人はゴアの町にヒンドゥー寺院を作らせなかった
そのため ゴアのヒンドゥー教徒は町ではなくゴアから離れた山にヒンドゥー寺院を建てた
造りがヨーロッパの教会風なのは 当時 職人は みんな教会づくりに慣れていたから
(ゴア ボムジェズ(バシリカ)教会) (ボムジェズ教会)(スカルトバル教会)
17世紀初頭 80年かけて建てられた教会 この教会にはザビエルのミイラ化した遺体が安置されている
フランシスコザビエルはゴアを拠点にアジアの布教活動に勤めた人物
1542年 ザビエルは宣教師としてゴアを訪れた その7年後にザビエルは日本にキリスト教を伝える
彼の肩書は聖人だが実は悪人だった
奴隷売買と残酷な宗教裁判を認めた キリスト以外の宗教は全く受け入れようとしなかった
彼は最初からインド人をキリスト教徒にできると思い手段を選ばなかった
ただザビエルは働き者であった。1552年 中国の布教先で亡くなる
(フォート チャポラ)17世紀に建てられたポルトガル要塞
当時のゴアはポルトガルのリスボンより大きな町に成長していた
しかしゴアの繁栄は長くは続かなかった 伝染病とオランダ軍の侵攻により大きな打撃を受ける
<ゴアからパナジに拠点を移す>
18世紀後半 貿易拠点はゴアからパナジ(ゴアの郊外 約50キロ)へと移される
パナジはポルトガルが来るまでは小さな漁村であった
ポルトガル人が来るまでは ほとんどの人がヒンドゥー教徒であった
現在 ヒンドゥー教徒が60パーセント カトリックが38パーセントとなっている
ここではインド古来の伝統とポルトガル文化が継承されている
その後 人口20万を超えたゴアはオールドゴアと呼ばれるようになった
1961年 450年も続いたポルトガル人のゴア占領は終わる しかし今でもクリスチャンが多い
ポルトガル人が去り50年以上がたつがゴアにはほかに地域にない独特の雰囲気が残っている
建物はポルトガル風 さらにメキシカンハットをしたミュージシャンもいる
肉を主とした料理が多く また宗教上の縛りが緩く インドでは珍しくアルコール類も売られている
またゴアの人々は辛い物好きで唐辛子を生で食べる習慣がある
<もくじ>
1南インドの文化や年中行事
2ムンバイ1
~イギリス統治時代に建てられた建築物編
3ムンバイ2
~インド映画 弁当配達 貧困問題編
4ムンバイ3
~ヒンドゥー教に関する祭りや遺跡編
5マイソール1~市内~
6マイソール2~郊外~
7エローラ石窟(他宗教遺跡)
8アジャンタ石窟(仏教遺跡)
9ハンピ遺跡(ヒンドゥー遺跡)
10コーチン(欧米人初のインド植民地)
11ゴア(色濃く残るポルトガル文化)
12ハイデラバード(イスラムモスクほか)
13バーダーミー(ヒンドゥー遺跡)
14カルナータカ州と その他の名所
15チェンナイ~カーンチープラム
16タンジャーヴール~他いろいろ
17クンバコナム スリランガム
18マドゥライほか~その他の名所
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