8アジャンタ石窟(仏教遺跡)
(アジャンタ石窟) エローラから約100キロ離れたところにある
紀元前1世紀から6世紀にかけて彫られた仏教遺跡 エローラよりも700~800年 古い
窟の数は28個で 最盛期には200人の僧侶が暮らしていた
大体石窟は川沿いに作られる ここの石窟も川沿いに作られた
東西500メートルの石窟 1000年かけて彫られた石窟 石窟の中には多くの石窟がある
2200年前の古い壁画 人々が合唱している姿が描かれている
昔 このあたりにはトラが多く暮らしていた
19世紀初め(1819年)トラ狩りに来ていたイギリス人(イギリスの東インド会社)が人里離れた山中で奇妙な穴を発見する
それは1千年前 闇の中で眠りについたアジャンタ石窟だった
また アジャンタ石窟のあるワーグラー渓谷のワーグラーとはヒンディー語で虎の谷と言う意味
山には人の手で掘られた洞窟があり そこは やがて修行僧が集まる場所となった
紀元前2世紀ごろからアジャンタの石窟が彫られるようになり 途中 300年間の中断をはさみ
漢(中国)やローマ(ヨーロッパ)が栄えていたころ6世紀頃 今のアジャンタ遺跡は ほぼ完成した
アジャンタから引き継がれた彫刻技術は その後の木造建築や バーミヤン遺跡(アフガン)敦煌遺跡(中国)へと受け継がれる
全30カ所あるアジャンタ石窟 しかしその中で保存状態がいいのは たったの4カ所のみ
遺跡群は主に2種類からなる 大半を占めるのはヴィハーラからなる石窟
<ビィハーラ窟> 前期に作られたもの アジャンタの前期窟(紀元前)は装飾が簡素で単純なつくりとなっている
ただ単に僧侶が寝泊まりするために作られた石窟ほかペルシャ(現イラン)人の壁画が残っている
アジャンタは作られた時期とは関係なく右から順に番号が振られている
<第1窟> 壁画 ※非公開
壁画には立派な王冠も描かれている れんげじゅ菩薩の眉はつながっている
<第2窟> 釈迦の誕生を描いた壁画
(壁画の内容)
キンナラは体が蝶で顔が人間 楽器を弾いている
スジャータは牛飼いの娘で6年間の苦行を続け衰弱しかかったブッタにミルク粥を飲ませた
粥を飲んだブッタの体力は回復したが同じ修行を続ける弟子たちの反感を買った
ナンダは出家に気が進まない様子 日本に仏教が伝わる以前に書かれた壁画
天井にへばりつくように腰かけているのは ヤクシャ
<第4窟> 未完成の間 壁の壁画は描き途中のまま放棄されている
<第9窟>
<第10窟>イギリス人が最初に発見した石窟
<第16窟>
<第17窟> ミトゥナ 白い象が自らの牙を抜く壁画 その象は6本の牙をもっているが
牙を抜いてしまうと死んでしまう 死んで罪を償おうとしている
シンハラ物語 鬼が人に食われる壁画
<第19窟> 初期の物より凝った造りになっている
後期に作られた石窟は手の込んだ造りとなっている 後期は彫刻が多く壁画は描かれなくなる
5世紀ごろの宮廷内の様子を描いた壁画 宮殿では王子が水浴びをしている
青い色はラスピラズリと言う宝石を砕いて使用
後期窟の壁画は2000年以上たった今でも鮮やかに残っている
<第24窟> 未完成のまま放置された石窟
<第26窟>
チャイティア窓とチャイティア窟
エローラよりも大きいアジャンタのチャイティア窓
チャイティア窟 無数のアーチ状の太く長細い形からなる天井は あばら骨のよう
長細い石窟の一番奥にストゥーパ石窟が置かれている 後期に作られたもので壁には細かい彫刻が施されている
座禅を組み右手を差し出す 7.2メートルの涅槃物ほか
こちらの石窟は仏像誕生以前の 過去1万年間の歴史が見て取れる
マンモス並みの大きさの象も掘られている
インドにはエローラやアジャンタ以外にも100~120を超す石窟寺院がある
毎週月曜日 アジャンタはお休み そのためエローラが大変 込み合う
次の日の火曜日はエローラがお休 そのためアジャンタが大変込み合う
この二つの石窟を観光する場合 出来たら月火は避けた方がいい
<もくじ>
1南インドの文化や年中行事
2ムンバイ1
~イギリス統治時代に建てられた建築物編
3ムンバイ2
~インド映画 弁当配達 貧困問題編
4ムンバイ3
~ヒンドゥー教に関する祭りや遺跡編
5マイソール1~市内~
6マイソール2~郊外~
7エローラ石窟(他宗教遺跡)
8アジャンタ石窟(仏教遺跡)
9ハンピ遺跡(ヒンドゥー遺跡)
10コーチン(欧米人初のインド植民地)
11ゴア(色濃く残るポルトガル文化)
12ハイデラバード(イスラムモスクほか)
13バーダーミー(ヒンドゥー遺跡)
14カルナータカ州と その他の名所
15チェンナイ~カーンチープラム
16タンジャーヴール~他いろいろ
17クンバコナム スリランガム
18マドゥライほか~その他の名所
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