5ストックホルム~王室 王宮 関連
1759年に建てられた王宮 イタリアロココとフランス建築の融合
王宮の南にある大聖堂は1279年に建てられた
毎日 昼過ぎに1回 衛兵の交代式が行われる
その後何度も改築され1480年にイタリアバロック様式に改築され今に至っている
蒸気船に乗って一時間のところにある なお蒸気船はストックホルムカードを使えば20パーセント引きになる
17世紀(1661年) 左右対称の3階建ての白い大理石のバロック様式 宮殿内には220~600以上の部屋がある
ヨーロッパのほとんどの城が この城をモデルに作られている 宮殿の完成までに100年かかったという説もある
※ただ宮殿は一度火事で焼失しその後再建されている
ドロットニングホルムとは王妃の小島と言う意味 もともとは王妃の夏の宮殿として建てられた
1981年以降 王家の住まい(※左側のみ)として使用されている また宮殿内では大使の任命式や国賓の接待が行われている
王家が外出中の時には旗が下ろされ帰ってきたときに また旗が掲げられる
宮殿の2階は一般開放されているが 地元の人はあまり訪れない
宮殿外のフランス庭園(長さ700メートル)はフランスから北造園家が手掛けた 庭園もまた建物と同じで左右対称となっている
銅像や噴水などの飾り物はほとんどデンマークから奪い取った戦利品だった
宮殿が出来たころスウェーデンはドイツの支配下にあった
しかしその後スウェーデン王国は今のフィンランドやドイツの一部を占領する大国に成長する
カール1世(19世紀のオーストリア皇帝)が凍り付いたバルト海を渡りデンマークに勝利した時の絵やカール10世のギャラリー
さらには宮殿内にはウィーン攻防戦やオスマントルコとの戦いの絵が自慢気に飾られている
宮殿内にある2つの扉 一つが本物 もう一つが手描きの扉 だまし絵となっている
宮殿内部の天井にはギリシャ神話の絵が描かれている
宮殿内の中国離宮は王(グスタフ2世)が王妃ロビーサにプレゼントしたもの 当時 王侯貴族の間でちょっとした中国ブームが起こっていた
18世紀 スウェーデン王国はイギリスやオランダと中国からのお茶や陶磁器の貿易を競っていた
そのためスウェーデン王国は東インド会社を設立し中国南部に拠点を持っていた
中国の港からスウェーデンに お茶やスパイス陶器などが入って来ていた
また 中国からの陶磁器は食器としてだけでなく壁に飾るオブジェとして使われた
ローストランドは1726年に誕生した王室御用達の食器メーカー
中国陶器を基本に作られたヨーロッパの陶器の一つでヨーロッパではマイセンに次ぐ古い陶磁器メーカーでもある
そのほかスウェーデンの画家が漢字をまねて描いた絵もある
王妃の寝室(謁見用の寝室)は壁から天井にかけて金箔で覆いつくされている 15年かけて造られた
18世紀の本が並ぶ宮殿内の図書館 2000冊の本を収容 当時ここへ来たイギリス人が ここへ来れば見つからない答えはないと言った
ただ残念なこと 当時この図書館は一般開放されずにある女性(女帝ロビーサ)のためだけにあった
宮廷内の扉に刺さったトランプの数は宮廷内の行先を示している 家臣は行先別の服を着る
庭園ではしばしば演劇が披露された 緑屋根の劇場はロココ調で統一された
宮殿劇場の幕の上げ下げは太陽国家スウェーデンの船の帆を上げたり下げたりする技術が生かされている
劇場内には偽物の扉や装飾が本物そっくりに描かれている カーテンや彫刻も絵
18世紀 オペラはヨーロッパ中に広がる 劇の内容はスウェーデンの娘が航海に出て荒波にもまれるシーンなど
舞台の裏では道具を使い風の音を作り出したり雷の音を作っていた 多くの仕掛けがあり大勢の人がすべて人力で操作していた
それは まるで運動会のような様相であった
※運命の仮面舞踏会で起こった殺人事件はここではなく以前の建物の劇場で起こった
1905年に建てられた石造りの建物
国会議事堂の門は旧市街地への入り口にもなっている
湖に浮かんでいるように見える城
ルネッサンス様式に改装したもの 中庭を入るとオスブタとメスブタと言われるロシアから送られた大砲が置いてある
そのほか歴代王のコレクションが展示してある
元軍人貴族の ランゲルが建てた ランゲルの間 武器の間など しかしランゲルはこの城に2か月しか滞在しなかった
着工から330年がたったが いまだ未完成の城 予算は当の昔に打ち切りとなり さらに城主であるランゲルも亡くなってしまう
<もくじ>
1基本情報
2歴史
3ストックホルム~基本情報&料理
4ストックホルム~ノーベル賞関連
5ストックホルム~王室 王宮 関連
6カルマル エーランド島
7世界遺産 タヌムの岩絵と電波塔
8その他の名所
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