3 戦中昭和3(1945年) 東京大空襲に原爆投下 日本の敗戦
明号作戦 日本軍とインドシナに駐留するフランス軍との戦い 結果は日本軍が圧勝しフランス軍はアジアから撤退した。
日本軍の協力の元 グエン朝の王族からなるベトナム帝国が建国される
日本はベトナム同様 ラオスとカンボジア(シアヌーク)にも同様の独立国を建国させた。
ベトナムで大飢饉が発生し40万から200万人が犠牲となった 日本はベトナム人から反感を買い またベトナム帝国の弱体化に繋がった
この年の初めころ(1945年)
愛知県三河湾でマグニチュード6.8の三河地震(直下型地震)が発生する
2300人以上が犠牲となったが それらの地震は敵陣にばれないようにと報道されることはなかった
しかしアメリカは観測結果などから日本で起きた地震の事を知っていた※むしろ日本よりアメリカの方が被害情報を詳しく把握していた。※
それでもアメリカは手を緩めることなく東京 名古屋 大阪 神戸 九州と立て続けに空襲を行った
名古屋空襲では名古屋のシンボル 名古屋城も空襲により焼失した。
ヨーロッパ戦線はアメリカの参戦により戦局は一気に変わり それまで勝ち続けて来たナチスドイツは敗北を重ね ついに降伏 ナチスと同盟を結んでいたイタリアも降伏した
※ドイツは第1次大戦のときもアメリカの参戦が原因で敗北している※
ドイツは第1次大戦 同様 またしてもアメリカの 後出しじゃんけん に敗れる結果となった
ドイツの降伏によりヨーロッパで戦線での戦いを終えたソ連兵が中国戦線(日中戦争)に参戦してきた
(同年)東京都 小笠原諸島(太平洋の小島)の硫黄島では島民は避難し島民と入れ替わるように2万人の日本兵が島に上陸した。
日本兵は島に深さ20メートルの穴を掘り塹壕を築いた。長さ18キロの塹壕の中には病院まで作られた。
アメリカ軍の硫黄島攻撃が始まった。空と海から合計5700発の爆撃を受けた硫黄島は太陽のように真っ赤に燃えた その攻撃により島の形はすっかり変わってしまったとも言われている。
硫黄島に上陸した6万の米軍はガソリンに火をつけ島を焼き払い まっ平らな土地を作った。 そこに船で持ち込んだ建築素材を使い滑走路を建設した。※現在その滑走路は日本の海上自衛隊が使用している※
(同年) 米軍がフィリピンのマニラを占領
1945年 マニラ市街戦が行われる1か月前 日本軍がマニラでフィリピン人を10万人規模で殺害するマニラ大虐殺が発生した。
米軍と日本軍によるマニラ市街戦では一般住民10人が巻き沿いを食い犠牲となる 米軍が勝利したことでフィリピンでの戦闘は終わった。
第2次大戦におけるフィリピン人の使者は110万人にも及んだ
(同年) ついにアメリカ軍が沖縄へ上陸してきた
沖縄で2か月間にわたる地上戦が行われる
沖縄は日本で唯一地上戦が行われた場所となった
その被害は本土と比べ物にならないほど大きかった。
沖縄の人口は戦争により49万から37万人と激減した。
沖縄戦では沖縄住民だけでも10万人(戦争全体では12万人)が犠牲となった。実に島民の4分の1が戦死した。
当時 自分の命も顧みない日本人は捕虜になるくらいなら自滅しろと教えられていた ところが
沖縄の人々は抵抗もせず次々とアメリカ兵の捕虜となっていった
日本兵はアメリカ兵にとらわれた沖縄の人がアメリカのスパイになるのを恐れた
もともと日本兵は沖縄の人に偏見を持っており 日本兵はより一層 沖縄の人を疑うようになっていった
多くの日本兵や沖縄住民はガマと呼ばれる洞窟に避難した 日本兵はガマの中で沖縄住民を追い出したり 強奪や殺害も行った
沖縄の人々は米軍だけでなく日本兵からもひどい目にあった。
(同年)米軍は横浜 静岡 青森 北海道 富山福井にまで空襲を行う
戦争の最後の決め手となったのはアメリカの最終兵器原子爆弾だった
1945年 長崎 広島へ落とされた原爆を積んだ戦闘機がサイパン島から飛び立っていった。
アメリカは当初 原爆はドイツに落とす予定であったが ドイツが先に降伏してしまったので 仕方なく日本へ落とすこととなった
その時 ユダヤ人出身で結果的に原爆の理論を発明した事となったアインシュタイン博士(科学者)は嘆き悲しんだとも伝えられている。
しかもアメリカは原爆の威力をハッキリ知りたいため わざと戦争被害の少なかった広島と長崎にそれぞれ違った種類の原爆を落とした。
原爆の その破壊力はすさまじく たった一発の爆弾で 町を丸ごと一つ壊滅させ さらに一回の爆発で数7~10万以上の人が亡くなった。
また長崎に落とされた原爆は広島型の1.5倍の威力があり もともと長崎ではなく小倉に落とす予定であったが 当日 小倉上空に雲が発生し急遽 長崎に変更になった。
もし仮に小倉に落とされていれば小倉は広島や長崎より 人口が倍以上と多く 広島や長崎 以上の被害が出ていたであろう
原爆は その後 朝鮮戦争でもアメリカが中国に落とす予定があったが見送られた。
(同年)日本は4年間で200~300万以上の戦死者を出しながら滅亡寸前のところで無条件降伏した。
日本の降伏により世界中で未曽有の被害を出した第2次大戦が終了した。
しかし日本が降伏した後もソ連軍が南下し北方領土と当時日本の支配下にあった南樺太を占領していった。
ソ連軍が北海道へ上陸する一歩 手前の所で引き返した。
戦後 中国から日本兵から引き揚げ その過程で一部は日本兵はソ連兵に連れ去られシベリア抑留となった
ソ連の捕虜となった日本兵はシベリア鉄道建設などに駆り出された 過酷な強制労働を課せられた結果 多くの日本人が亡くなった
また戦争が終わっても一部の日本兵は戦地インドネシア等に とどまりアジア独立のために戦った
戦後 中国は 再び内戦状態となり 結果 中国大陸(共産党)と台湾(国民党)の2つの国に分かれることとなる。
また日本の統治下であった朝鮮半島も北朝鮮と韓国の2つの国に分かれる
かつての覇者イギリスも大戦に勝つには勝ったが被害は大きく すっかり国力を落としてしまった。
一方 戦場にならなかったアメリカは戦後 経済 軍事の面で世界の頂点にたつ
日本も戦後7年間 日本はアメリカを主体とした連合国軍GHQの支配下に置かれる
日本が占領していた領土は没収された
そのとき日本の長い歴史において初めて日本本土を外国人によって占領された。日本は経済大国アメリカに支配される事により 皮肉にも その後 飛躍的な経済発展を遂げる事となる
憲法も 今現在に至るまでアメリカ人が制作したものを使用
さらに日本国内に数か所 アメリカ軍基地が起これることとなった 戦後70年以上たった今も同じ
※日本政府はアメリカに基地を提供するだけでなく 思いやり予算と言う多額の援助も行っている※
やがて東西冷戦がはじまると沖縄は極東におけるアメリカの重要な軍事拠点となる※日本全体の75%の米軍基地が沖縄に集中している※
アメリカ統治下にあった沖縄では沖縄住民の人権は日本はもちろんアメリカの憲法でも保証されない状態であった
アメリカは強引に沖縄住民の民家を取り壊し基地を作っていった さらにアメリカ軍兵士のひき逃げや盗難など犯罪が多発し
しかも沖縄で犯罪を犯したアメリカ兵は罰せられることはなかった
戦後 アメリカ主体のGHQ支配のもと日本軍ほか政治組織 財閥(①三井②三菱③杉友④安田)など 様々な組織が 解体させられていった なお軍人に関しては国から退職金が払われた
(同年)終戦から1か月が過ぎたころ 鹿児島県で枕崎台風が発生し死者行方不明者2400人出す大惨事となった
<目次>
1 戦中昭和1(1927年~1940年) 日中戦争開戦
2 戦中昭和2(1941年~1944年) 大平洋戦争開戦
3 戦中昭和3(1945年) 東京大空襲に原爆投下 日本の敗戦
4 戦後昭和1(1946年~1958年) GHQ(外国勢力)支配の日本
5 戦後昭和2(1959年~1975年)日本主権回復 高度経済成長期
6 戦後昭和3(1976年~1988年)バブル経済に突入
日本史 そのほか の時代に起きた出来事 |
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