2チベット王国の古都ラサ
————————-2ラサ(ポカラ宮殿)
標高3600メートル 年間120万の観光客
1300年間チベット仏教の聖地 90パーセントが仏教徒 富士山と同じ標高 世界で最も高地にある都市のひとつ
晴れの日が年間300日あり 太陽の町と言われている 11月は観光客が減り代わりに巡礼者が多く訪れる
空気が薄く平地の3分の2 さらに高い5000メートルでは半分の量
7世紀 吐蕃王朝の都として発展したのが始まり 多くの寺がありチベット人だけでなくモンゴルやネパールからも多くの参拝者が訪れる
鉄道の駅はポカラ宮殿をモデルに作られた 暴動から1年400個の監視カメラが設置された
ラサは昔 湖だった 湖を埋めるため多くのヤギが使われた ヤギ=ラサと言う地名が付いた
ラサの町のどこからでも宮殿が見える 千を超える部屋数 経典が収められている インドでは失われてしまった仏教の経典がある
インド仏教を知るうえで貴重な資料となっている 1300年の歴史 ポカラとは観音菩薩が住む山の意味
入場制限がされているため1日2200人しか入れない 撮影禁止の場所もある 入場料100~200元
高さ117メートル 13階建て 1000室 7から13世紀にかけて作られた
夜はライトアップされたポカラ宮をポカラ宮広場から見る事が出来る
最後に湖を埋めた石が寺院内に展示されている 耳を当てると湖の音が聞こえるとされている
ソンツェンガンポ(581?~649年)の黄金の銅像 吐蕃を築いた人物 7世紀チベットを統一しポカラ宮殿を建設した人物
ガンポの隣にはネパールから制約結婚で嫁いだティツン(同じく黄金の銅像)文成公主(唐の皇女)の黄金像も ラマ殿
観音菩薩像 ガンポが築いたチベットは10世紀に滅びる
白宮(ポタンカルホ)ダライラマが建設した主にダライラマが過ごした生活の間 創建当時はこの白宮のみだった 以後 2階部分の紅宮を増設する
紅宮は政治を行う場所として使用されていた 下部が白宮 上部が紅宮 かつてのダライラマの居城(今は博物館)
ガンポ(初代チベット王)が建てた初代ポカラは落雷と戦闘で壊れる 今のポカラ宮殿はダライラマ5世が建てたもの 5世は分裂していたチベットを統一した
17世紀にダライラマ5世が28歳の時に新たなポカラ宮を作った そのほか 歴代ダライラマの黄金の銅像も展示されている
中国モンゴルネパールなど様々な人種の人が建設に携わった 建設期間は55年 中には多くの経典が収められている
寺院内ではヤクの油でろうそくを燃やす ネパールから王妃が寺を混入 黄金の像が寺院内に展示されている
参拝者は寺の周りを時計回りに歩き回る 中には五体投地で回る参拝者もいる 3歩進んで寝そべるの繰り返し
周りにはヤクのバターの塊が売られている バターは祭壇の灯りの燃料として使われる 祭壇近くはバターのにおいがきつい
最盛期には5500人の焦慮がここで修行に励んだ タンカ祭り 年に一回 巨大タンカが開かれる チベットガゼル
(ダライラマ5世(1617~1682)の霊塔 高さ14メートル 霊塔には2500キロの金と1万5千キロの宝石を使用
そのほか真珠や翡翠で飾られている 石板にチベット文字を掘る少年 膨大な数の石板
棺の中には5世の遺体が安置されている)弥勒菩薩 中庭では修行僧が回答修業をしている
ダライラマはチベット仏教の最高指導者 生けた仏 観音菩薩の化身だとされている
7世(1708~1757)9世の棺もある 巡礼者は棺の周りを時計回りに回る
7世紀創建の寺 ラサでは最も古い 五体投地が行われている
チベット昌都地区芒康県塩井郷の赤色砂礫地帯
イエンジン村 チベット雲南四川の3つの省 重なる場所 2000年前から食塩が作られてきた 合計2700枚以上の塩田
塩造りは主に女性の仕事 男性は売りに出かける 多くの長い竹で塩田を補強(支える) 桃花塩(上等品) 二番塩は少し土が混じっている
三番塩は家畜用 家畜は人間よりも多くの塩を必要とする
昔は奴隷制度があった自分の塩田が持てるようになったのは20年前から
ダライラマの夏の宮殿 7世が建てた宮殿 今は博物館
1959年ダライラマ14世はここからインドへ亡命した
チェンセク宮 ダライラマ13世の宮殿 14世が過ごしたたえ物が最も見ごたえがある
山の斜面に築かれた寺院群 6月16日 巨大タンカが広げられる
チベット医学を教えてる場所 ポカラ宮殿の絶景ポイント
1チベットの基本情報と歴史
2チベット王国の古都ラサ
3チベット その他の名所
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