(東京駅7)数万本の丸太が用意された
頭のてっぺんに見事なちょんまげを乗せた男たちは海辺に集まり潮干狩りや海水浴を楽しんでました。さらに漁師たちは浅瀬で網を張り魚を取ってました
それは江戸時代初期 約400年前の東京駅周辺の様子です。そうです東京駅周辺はもともと浅瀬の海だったのです。
そのため地盤が弱く今でもたまに地下からは数百年の眠りから目覚めた海水が溢れ出す事があるそうです。
今から108年前の明治41年 日本は日清(対中国)と日露(対ロシア)の戦争を終えそして皇居のすぐ近くに赤煉瓦造りの東京駅を造ることになりました。
そしてその時に用意された建築資材は赤煉瓦ではなく長さ十数メートルの大量の丸太でした。
人々はその光景を見たときてっきり新しい東京駅は木造建築で造られるものだと思ったそうです。
しかしそれらの丸太は外観に使われるものではなく地下の奥深くにびっしり埋められることになりました。
なんせその昔そこは海であったためその地盤は緩く重たい鉄筋や煉瓦の建物を支えるにはこの方法をとるしかほかなかったかもしれません。
その基礎工事で使われた丸太の数は東京駅だけでなんと1万1千本さらに高架橋に関しては なんと1万9千本も埋め込まれたそうです。
このとき最も長い丸太は長さ17メートルにも達したそうです。そしてやっとその杭となった丸太は地下の固い岩盤まで到達したそうです。
あの東京駅そっくりの建物の三菱一号館(現美術館)も復元される前までは地下に大量の丸太が埋められていたそうです。
基礎工事が終わるとさらにその上に重さ数百トンの建築素材を乗せ土台が沈まないかテストされました。そのかいあって関東大震災の揺れにも耐えきれる強じんな建物が完成しました。
ーーーーこのあと 東京駅は見事に完成しますがすぐに関東大震災がやってきます。そして恐怖の炎が東京を飲み込みます。つづきをどうぞ
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