富岡製糸所(群馬)12 かつてフランス人が住んだ建物!
テスト
明治5年(約140年前)西岡製糸場が完成した当時は群馬県に西洋風の建物がやって来たと大騒ぎになったそうです。
そして大きなニュースとなり錦絵にも富岡製糸場が描かれる事となりました。
工場の門のところには〃ドカーン〃と大きな文字の縦書きで富岡製糸場と書かれた表札が掛けられていました。今でも工場見学の際この風格のある古い表札を見る事が出来ます。
工場の門を抜け敷地内に入ると門のすぐ隣に来客を出迎える受付がありますがその昔そこは検査人館と言う建物でした。
建設当時は生糸(きいと)の検査などを担当したフランス人の技術者が住んでました。
実は彼らフランス人は工場の経営を圧迫するほどの待遇を受けていたため彼らの部屋の中は豪華その物であったそうです。
その検査室の隣にはバルコニー付きのオシャレな建物が造られました。こちらは女工館と言いブリューナがフランスから連れてきた女性の技術指導者が寝泊まりする建物でした。
しかし女性指導者は日本の環境になじめなかったのか次々と帰国してしまったそうです。そして女工館はずっと空き家のままだったそうです。
フランス人が全員帰国したのち女工館は役員の宿舎や女工の食堂として使わてたそうです。
ーーーーーこのあと長さ100メートルの大きな まゆ保管 倉庫を紹介します。
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