富岡製糸所(群馬)21 製糸場の会社と経営について!!
さてここからは富岡製糸場の会社と経営についてです。富岡製糸所は創業当時フランス人技術者ブリューナによって建てられました。
さらにフランス人のブリューナの経営と方針によって運営されていました。しかし工場が軌道に乗り出すと明治政府のお雇い外国人たちはもう必要なくなります。
そこで契約満期となったブリューナを始めフランス人の方々に帰国してもらう事になりました。実はその頃 富岡の工場経営は赤字続きだったそうです。
その原因は なんとフランス人に支払う給料が高額であった為だそうです。
そして たった3年間であったがブリューナを含めたフランス人たちは明治政府からガップリと報酬をいただき帰国していったそうです。
すると皮肉な事に日本人だけとなった富岡製糸場の経営は一気に黒字に転換していったそうです。
開業から21年後 富岡製糸場は官営(国営)から民営となります。そのとき三井系の会社が富岡の工場を買い取りました。しかし当時 富岡には鉄道がまだ開通してませんでした。
そこで三井銀行の出資で今の上信電鉄が開通しました。鉄道の開通により富岡製糸場も蚕(カイコ)の卵や まゆさらには生糸(きいと)などの運搬が非常に便利になりました。
三井(会社)時代の豊岡製糸場はアメリカ向けの輸出も順調で経営もおおむね好調のようでした。さらに三井は富岡以外にも3つの製糸工場を抱えていました。
しかし三井はたった10年あまりで富岡製糸場を売却してしまいます。その後 富岡製糸場を買い取ったのが横浜の合弁会社(一部外国資本の日本の会社)でした。
そしてその合弁会社の経営が30年ほど続くのでした。その間 日本は日清 日露と様々な戦争を経験する事となります。
ーーーーーこのあと明治政府が思い描いた夢が現実のものとなります。
コメントを残す