1トルコの基本情報
面積は日本の2倍
人口約8千315万人 ここ数年 急増している
公用語はトルコ語だがトルコ西部ではクルド語やシリア語も話されている。
トルコは ①黒海 ②エーゲ海 ③地中海 ④マルマラ海 の4つの海に面している
国土の97%を占めるアナトリア半島(アジア)と残りの3%トラキア半島(ヨーロッパ)からなる
イスタンブールのボスポラス海峡はアジアとヨーロッパの分岐点となる。
国民の99%がイスラム教徒 頭にスカーフを身に着けている女性も多いが公的な場所でスカーフを巻くのは禁止されている
もし許してしまうと スカーフを つけたくない人までつけなければならなくなる可能性があるため
特に校内や役場でのスカーフの着用は厳しく禁止されている
女性のスカーフ問題は政治の場で与党と野党が対立し裁判にもなっている。
過去に何度も宗教色の強い政党が選挙で勝利し政権を取ってきているが軍のクーデターにより転覆させられている。
特にEU(ヨーロッパ)はトルコのイスラム化を強く嫌っている
なおトルコはイスラム スンニ派が多く お祈りの仕方も シーア派が多いイラン イラクとは少し違う
シーア派とスンニ派では お祈りする時間が異なる
日本はトルコから多くのマグロを輸入している
小学校8年 高校が4年 学校ではアタチュルクをたたえる朗読がなされている
校内のあちこちにアタチュルクの肖像画が掲げられている
夏休みは3か月以上 お菓子の持ち込みは自由で校内に売店もある
また悩みのある生徒は心理カウンセラーが悩みを聞いてくれる
弦が78本もある楽器(琵琶の一種)
そのほかトタン屋根をたたいたような音のする民族楽器もある
500年前 オスマントルコ軍が大きな音で対手を驚かす(又は威嚇する)ために開発されたのが始まり
イスタンブールにはシンバルを作る工場が今も稼働している
原画5本の伝統楽器
2000年前からあるトルコの伝統楽器
パキスタンに今も残るセタール(楽器)がメソポタミアの物に最も近い
三味線のルーツでもある
ペルシャから伝わったウドは琵琶の原型となった。
市が行う遺跡の保存修復は失業対策にもなっている
トルコでは失業率が30%を超える
そんな失業者に遺跡の修復を行ってもらおうと市は遺跡保存の職人 養成施設を開設した。
トルコはEUと40年にわたり加盟交渉をしているが実現には至っていない。
トルコがイスラム国家であることとギリシャとの対立がトルコのEU加盟を難しくしている
トルコとEUとの間では関税がない。経済的なつながりが大きい
なおトルコはEUには加盟できないがナトーには加盟している。
トルコはEU加盟を最大の目標に掲げながらも中東やアフリカとも仲がいい
過去に何度も戦争し今でも仲が悪い ※トルコは もう一つの隣国アルメニアやロシアとも仲が悪い※
エーゲ海を境にトルコとギリシャに分かれている
ヒオス島は古代ギリシャの時代から交易の拠点が置かれた場所でギリシャで最もトルコに近い島
15世紀にはオスマン帝国の支配下に入り弾圧を受けた
聖みなす修道院には山積みになった人骨がガラスケースの中に入っている
またエーゲ海には両国が領土を主張する無人島がある
文法は日本語と同じ アルタイ語系に属している
こんにちは=メルハバ
どうにかなるさ=インサラー
お札に描かれている人物は現在のトルコ共和国を立ち上げたムスタファケマル アタチュルクという人物
トルコ語でアタチュルクとは父なるトルコ人を意味する
こわもてだが人気があり町のあちこちで彼の肖像画を見かける
店員が その日 最初に受け取ったお金を わざと床に置く 商売が繁盛すると信じられている。
海外から多くの自動車会社を誘致している
ガソリン1リットル200円以上と物価の上昇が激しい。
トルコの鉄道はオスマン時代 ドイツやイギリス フランスによって作られた。
だがトルコには鉄道路線が少ないためバスを利用する人が多い
国内には400を超えるバス会社がひしめき合っている
長距離バスの車内ではお茶やコーヒーのサービスもある
食べた後はコロンヤと言う液体で消毒 コロンヤには虫刺され防止の効果もある
コロイヤは自宅に来客があったときにも使われる
イスタンブールは渋滞が酷いのでトラムが非常に役立つ
ワゴンタイプの乗り合いバス
トルコはイタリア ギリシャ からなる地中海火山帯の東の果てに位置し 活断層が多く火山活動が極めて活発なため
トルコ国内には多くの約200~1000か所以上の温泉が湧き出している。
テルマエとは公衆浴場の事
公衆浴場は古代ローマ時代からトルコで人々に愛されてきた。
ローマ時代の公衆浴場内にはプールやジム 図書館まで完備されていた。
博物館には当時 入浴の際使われていた体を洗う道具(アカスリ)などが展示されている
ローマ時代 石鹸にはブナの木とヤギの油が使われていた
特に女性は普段スカーフで顔を隠していたため 公衆浴場は顔をさらして交流できる唯一の場所であった
伝統の蒸し風呂
体を洗ってもらえるが洗車のように泡まるけになる
ケセという専用の手袋でアカスリをしてくれる
イスタンブールには1584年(オスマン時代)開業の歴史ある風呂屋さんがある
ハマムでは まずお湯を浴び その後に40度に熱せられた大理石の上に寝そべる
ローマ時代に発展した風呂文化だが一部のキリスト教をは風呂は人間を堕落させると嫌っていた。
その後 イスラムが領土を拡大 風呂文化はローマからオスマンに伝わった。
オスマンは占領した土地にハマム(風呂)がない場所から順に風呂を作っていった。
キリスト教徒が領土を奪還すると次々と浴場を壊していった。
トルコ石は 約6000年前から装飾品として愛用されてきた
トルコ石と角砂糖を使った伝統の占いがある
トルコ絨毯はイスラム教のお祈りの際 愛用されている
トルコ絨毯の歴史は古く
古い遺跡の中からもトルコ絨毯が発見されている
目の細かさで値段が決まり高いものは10万円以上する
シルクを使って根気よく織られていく
2~3か月から数年かかるものもある
トルコ絨毯は嫁入り道具の一つとされている
2年がかりで織られた長さ1メートルの絨毯は150万の価格で売られていた。絨毯は修復しながら使われる
ただトルコでの買い物には値段交渉はつきもの また作業工程を見学する事もできる
なおイスタンブールでは世界遺産になって以降 外で絨毯を洗ってはいけないなど決まりが厳しくなっている
トルコの伝統的な織物 一つ一つの模様に意味があり トルコでは嫁入り道具の一つ
中身を抜いたダチョウの卵の殻に絵を描きニスを塗ってつやを出す。
クモ除けの効果がある
トルコ伝統のイスラム芸術
水の中に絵の具をたらしその上に紙を置き 模様を描く
ベリーダンスは古代エジプト発祥の踊り
べリーダンスの基本はおなかで8の字を書いて踊る
1980年 軍事クーデターにより政権転覆 以降 ベリーダンスはイスラムの考えに反すると踊るのを禁止された。
1990年以降 ベリーダンスは解禁され今では海外からもベリーダンスを習いに来る人が増えた。
酔っ払いダンス
オランダ原産のチューリップは もともとはイスタンブールから運ばれていった。 トルコ産はチューリップの花の先がとがっているのが特徴
トルコ原産の先がとがったチューリップはオランダで品種改良されヨーロッパで大流行した。
16世紀 チューリップ トルコからヨーロッパに広まった
根前の由来は昔 トルコ人が頭に巻いていたターバン(チュルバン)からきている
大きなモスクでは女性が自由に借りられるスカーフが用意されている
モスクの中へは靴を脱いで入る
イスラム教徒が持つ じゅじゅ
お祈りの数を数える際も そのじゅじゅを使う
頭の形がトルコ人女性がかぶるトルコ帽に似ていたからその名がついた(スリランカなどに生息している)
イタリア語のピッツァ はギリシャ語ではピタ
トルコ語ではピデ となる
<目次>
1トルコの基本情報
2トルコの年中行事
3歴史1(紀元前 ヒッタイト帝国時代)
4歴史2(ローマ帝国東西分裂 紀元後~9世紀)
5歴史3(ビザンチン最盛期 10~15世紀)
6歴史4(ビザンチン滅亡 オスマン帝国時代へ)
7歴史5(オスマン滅亡 17世紀~第1次大戦まで)
8歴史6(トルコ共和国建国~現在)
コメントを残す