3トルファン(ウイグル東北部)
——————————-3トルファン(ウイグル東北部)
紀元前2世紀から14世紀の元の時代まで栄えた城塞都市遺跡
過去には大きな仏塔が100以上建っていた
1800年以上 東西交易のかがめとして勤めてきた
年間降水量30ミリ めったに雨が降らないため野外ステージも屋根がない
19世紀 ポプラ並木に緑のオアシス 盆地で夏は50度 (過去最高気温47.8度) 冬の気温は氷点下19~30度
緑の宝石と言われた 朝の8時にやっと日が昇る 海抜0メートルよりも低い
海抜0メートル ロバタクシー
広大なブドウ農園 一日の温度差が激しく降水量が少ないところがブドウ栽培に適している
葡萄の甘さは砂糖に負けない
ワインがおいしい2000年前からブドウとワインの産地
ブドウは老木ほどおいしい 冬 ブドウの木は寒さに耐えれるよう土の中に埋める
半分は40日間かけて干しブドウにする サイコロ状の四角い建物の中で干しブドウを作る 屋根のない地下倉庫でも干しブドウ造りが行われている
8月下旬にブドウ祭りが行われる 1992年から始まった ウイグルのブドウの歌は全国的にヒットした 高品質のブドウの品種は馬の乳房と言う
自家製葡萄酒 日本の大谷探検隊もぶどうの苗を持ち帰った
海から2000キロ離れているのにスーパーでは さんまが売られている
昔 西ウイグル国は天山ウイグル国ともいわれた 東西1000キロの国だった
(市内の遺跡)5~7世紀 隋から唐にかけての時代(唐代の物がほとんど)
大河が交差してできた場所に造られたのでその名がついた
大地を掘り下げて築かれた都市 昔 車師族が住んでいた
民家の頭上に穴があり底に丸太を差し込み屋根を作っていた 黒いところはかまどの跡
2100年前の町の遺跡 その当時 緑豊かな都市だった 車師前国の都 6000の住民 1800の兵士 当時からブドウとワインの産地だった
馬の骨が多数出土 漢族と車師しゃし族のミイラ 黄金のリング 盗掘されていた跡
大会議場 行政区の中心部 壁だけで天井がない
2000年前そこに絨毯を引き重要な会議を行っていた 権力者と一般人の移住区は分かれていた
遺跡には権力者の生活区 溝北墓 溝西墓が残っている マニ教の絵も見つかった
3世紀メソポタミアで様々な宗教が混在していた 町は13世紀 元の頃に消滅
トルコ石を使った黄金のブローチが出土
(市内から約40キロ) 幅300メートル 長さ1.5キロ 軍艦のような形をした遺跡
王族は漢族だったが庶民は様々な民族がいた 高昌の頃 三蔵法師も訪れた 当時 都には千人の僧侶がいた
5~7世紀 漢の王国跡 広い ロバ車に乗って遺跡をまわる 大仏寺跡 牢獄跡 城壁1.5キロ四方
624年 三蔵法師も27歳の時に ここ高昌国で1~2か月間滞在した その時 三蔵は王と対面 その後 弦蔵はインドへ旅立つ
13年後(640年) 三蔵が再びトルファンに戻ってきたときにはもう高昌国は滅びてなくなっていた
荒れ果てた城だけが残っていた
(市内から約40キロ) 6~11世紀 80以上の窟 この辺りは唐からウイグル王国の時代まで栄えた 丸い屋根は王族たちの祈りの場
世界各国の人々に盗掘された遺跡 ベゼクリクとは美しく飾られたという意味 過去に2回の破壊にあっている
ムスリム(イスラム教徒)に破壊されたのち20世紀には西洋人探検家たちに盗掘されていった
壁の壁画はほとんど削られてしまった 天井に少し残るのみ 1000年前のペルシャ風の壁画
壁画は6つの国 持ち出された
1ドイツベルリン2インド国立博物館 11点の壁画が切り取られていったがその中でドイツが持ち帰ったものが一番多い
壁画の一部は今ロシアエルミタージュ美術館にある 過去仏 前世の釈迦が描かれている 11世紀の物
ベルリンに持ち出された40枚の壁画は第2次世界大戦の空爆により消滅 今はモノクロ写真が残るのみ
イギリス人探検家スタインがはぎ取った壁画は今 インド ニューデリー国立博物館にある 一般公開されていない
日本の探検家が持ち帰った壁画は当時 日本が統治していた韓国ソウルにある
壁画には長い髪の毛を床にひく釈迦の前世の姿が描かれている
マニ教 様々な宗教と17の言語が混合 25種類の文字で書かれてた書類を発見
19世紀 遺跡は偶像崇拝を禁じるイスラム教徒の破壊が進んでいた さらに遺跡は肥料に使われることもあった
探検隊が訪れたとき住民はもうすでに400年間もイスラムを信仰していた
ムスリム(イスラム教徒)の目には仏教壁画は悪魔のように映った 壁画の顔や目が削り取られているものが多い
高さ2メートルの大仏壁画 石窟の中には昔の日本人の名前もあった
1902年 大谷探検隊の物 3回訪れていた 外国人探検隊が寝泊まりした窟のも残っている
生命の木(第39屈)様々な人種の壁画
(場所不明)2500年前の ウイグル集団墓地遺跡 ミイラ
5世紀 高晶と言う国ができる 漢人たちの古墳群
漢文化とペルシャ文化の融合
アスターナは唐によって滅ぼされるが唐の人もアスターナ墓地に葬られている
(-こぼぐん)、中国語: 阿斯塔那古墓群、英語: Astana Tombs 5世紀ころの物 地下の墓の中にミイラあり
古代中では中国では火州と呼ばれていた 夏場気温は50度 地上温度80度になる 夏はゴム底の靴を履くと靴が溶ける
1400年前 三蔵法師は火焔山のふもとを歩いた 16世紀 明代に書かれた小説 西遊記にも登場する
山のふもとに小さな集落がある 約1000年前 仏教の僧侶が崖に穴を掘って修行した小さな洞窟がいくつかある
1200本のカレーズ(人工的に作られた地下水路)全長4000キロ 深さ30メートル
郊外の穴 平原の大地にいくつもの穴があけられている 雪解け水を地下に流すため
穴の近くには地下の土を掘りだしたときに出来た小山がある
2000年前の物 地下に流れた水はカレーズとなる 1000~2000年も前から貴重な水を確保してきた
中国風のお寺 夏の都
2004年以降外国人が入れるようになった
(約100キロ離れた郊外) ラクダのお腹の下に足を入れて寝ると暖かい
砂漠の中の城跡
かつて存在した湖の跡 約20年 泥の湖だった 中国最高気温記録 海抜154メートル 摂氏50.2度
1778年 地元の王様が建てた
国家1級品の文物が5000点 うち8割がトルファンから出土 ミイラは一見の価値あり
砂漠の中を走る南疆鉄道 汽車の中に駱駝を乗せる 駱駝一頭 重さ約500キロ 途中唐の時代の放火台がある
山道を1キロ走って18メートル登る
紀元前4世紀の金貨が見つかる
トンネル内は夏でも氷点下
1ウイグルの基本情報と歴史
2ウルムチ(ウイグル東北部)
3トルファン(ウイグル東北部)
4クチャ キジル石窟(ウイグル北西部)
5ホータン(ウイグル南部)
6カシュガルとタシュクルガン(ウイグル西北部)
7イーニンとカナス湖と ナラティ草原(北部と北西部)
8アルマイ ニヤ カラマイ(北部と南部)
9ローランとミーラン遺跡(ウイグル東南部)
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