5 ロシア時代の面影が残る港町 オデッサ
別名 黒海の真珠 四方を陸に囲まれた黒海は湖のように見えるが その名の通り海である
オデッサは帝政ロシアの頃から栄えていた 今も商業の町として発展している 穏やかなオデッサの港には100か国以上の船が出入りする
港町なので船を題材にしたおみやげ品が多い
ブラバと言う昔の武器 玉の先端にトゲトゲのついたウクライナのシンボルとなっている 木製の こん棒もお土産として売られている
階段は1842年にイタリア出身の建築家が作った 全長142メートル 192段の階段
階段の両端の幅が一番下(21.7メートル)と一番上(13.7メートル)が倍以上違う 遠近法を使いより高く見せている
ロシア革命を題材にした映画 戦艦ポチョムキン(1925年制作のソ連映画)では市民が逃げ回るシーンが6分間取られた
銃撃された母親の乳母車が母親の手を離れ階段を転げ落ちるシーンが有名 海辺には その母と子の銅像もたっている
1792年 第8代 帝政ロシア ロマノフ朝の女帝
もともとは帝政ロシア時代にエカテリーナ2世の命令で作られた地下施設
かつては町からも地下トンネルがつながっていて そのトンネルの総合距離は3000キロにも達した
地下通路は石灰岩で出来ていた オデッサの町を最初に作ったとき地下から切り出した石灰岩で建物を作った
19世紀には地下通路が密輸に使われていた 第二次大戦時にはナチスに対抗するパルチザン運動の秘密基地として使われた
今も当時の無線機や銃がそのままの状態で置かれて展示されている
進出奇抜なパルチザンは 突然町に現れナチスに攻撃を加えた 戦闘は2年半続いた 1944年に解放された
港を見下ろす高台の橋はカップルが結婚を機に南京錠をかけに来る名所
19世紀に建てられたホテル 木製エレベーターは3人までしか乗れない
旧ソ連時代に活躍した オデッサ出身の有名歌手
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