宇都宮ギョーザ7 黄門様が食したラーメンと餃子
今から2千年以上前 日本列島では今の日本人とは違った堀の深い顔立ちをした縄文人が多く暮らしてました。
縄文人は狩りをしながら どんぐりや栗などの木の実を食べて生活してました。一方 その頃 中国大陸では もう既に味噌や餃子を食べていたという遺跡が残っているそうです。
その後 中国大陸の各地で戦争が勃発しそのとき日本へ逃れて来た多くの人がのちに弥生人となり日本に味噌を広めたとされてます。
そしてその後 日本列島では縄文時代が終わり弥生時代が始まります。
それから千数百年がたった江戸時代(約300年前)事です。当時 中国大陸では明が滅びその事により大陸から日本にある偉い人物が亡命する事になります。
そしてその偉い人が日本で初めてラーメンと餃子を伝えたとされてます。
そのとき日本で初めてラーメンと餃子を食べたのがあの水戸黄門のモデルになった徳川光圀(みつくに)だったと言われてます。
書物には当時 日本にラーメンという言葉がなかったので麺にレンコンの粉を練りこんだ〃うどん〃のような食べ物と記載されています。
紫かかった麺は〃日本そば〃のような色をしてました。
具にシイタケ チンゲンサイ 薬味にニラ らっきょ ネギ ニンニク しょうが をのせていただきます。とても体にいい薬膳料理といった感じでした。
また餃子は焼き餃子ではなく水餃子で豚肉ではなく鴨肉やその他の肉が使われていたそうです。
その時代 日本にまだラーメンや餃子と言う言葉がなかったにもかかわらず もう既に中華料理店があったそうです。
しかし餃子という言葉がまだなかったので餃子を〃焼いた豚まんじゅう〃と呼んでいたそうです。
ちなみに茨城県の水戸市には金龍菜館ほか市内に6店舗 黄門様が食したとされるラーメンと餃子を出している店があるそうです。
ーーこのあといよいよ日本でのちに国民食となる焼き餃子が発明されます。
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