2タシケント(首都)
町は新市街と旧市街に分かれている 旧市街にはイスラム建築の建物が多い
ソ連統治時代 ロシア人居住地とウズベク人居住地の境界線があったが
地震の後 その堺は亡くなった 震災後 ソ連政府が多くの人を送り込み復興に力を入れたため
急速に発展した 今でもソ連統治時代の名残が強く 警察官の数が多い
(タシケント駅)遠くモスクワから3日間かけてやってきた列車が到着する
地下鉄 独立広場駅には豪華なシャンデリアが吊り下げられている
そのほか壁にガガーリンの絵が描かれた宇宙飛行士駅もある
ただ地下鉄構内での撮影は禁止されている
(ナボイ劇場 アリシェル ナヴォイ) 1947年に建てられた1500人収容可能出来るオペラ劇場
戦後シベリアに抑留された457人の日本人が建てた劇場
内装も素晴らしく6つの休憩ロビーがある 建物の前には噴水もある
建設はジャングルを切り開いての作業だった
タシケントには劇場作りのために命を落とした 457人の日本人の名もなき墓が建てられている
1966年 タシケント大地震が起こったとき
しっかりと作られた劇場だけが残った 旧ソ連の4大劇場の一つとされている
建物前のプレートには建設に携わった日本人をたたえる言葉が刻まれている
この劇場があるおかげで親日的な人が多い
(日本人墓地)ウズベキスタン国内で亡くなったシベリア抑留者(日本人)のお墓
2万人抑留されたうち800人が亡くなった
(アミール チムール広場 )帝国の覇者ティムールが馬に乗った銅像が立っている
ソ連時代にはティムールの代わりにマルクスの銅像が建っていた
(セイルガフ通り)ロシア系住民が多い
公園内に土産物店が多く 屋外カラオケも盛ん
詩人 ナワイーの銅像もたっている
(バラク ハーン メドレッサ(メドレセ))
17世紀に建てられたモスクのような造りのイスラム学校
5月にはバラが咲く 中には世界最古のコーランが厳重に保管されている
7世紀に書かれたコーラン 紙ではなく羊の皮に書かれているため長持ちしている
(セリゲリ バザール)
車市 国内の ほとんどの車がここで取引される
(クカルダシュ メドレセ)
16世紀に建てられたイスラム教の神学校 ソ連時代は倉庫として使用されていたが
独立後に神学校として復活した 帝政ロシアに併合される前までは市街の中心地であった
(ハズラティ イマーム モスク)金曜モスク 外国人は入れない
(カファリ シャーシ廟)
(タシケント テレビ塔)高さ375メートル
塔に上る際は すべての荷物と電子機器の持ち込みが禁止されている
(ザンギ アタ廟)イスラムの聖人が眠る霊廟
(ウズベキスタン歴史博物館) ガンダーラ仏を展示
(ウズベキスタン工芸博物館)
<もくじ>
1基本情報&文化と料理
2タシケント
3サマルカンド
4ヒヴァ
5ブハラ
6その他の名所
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