3サマルカンド(古都)
紀元前4世紀 アレクサンダー大王も美しいと大絶賛した町
しかしその町はモンゴル軍に破壊され 今のサマルカンドは600年前 ティムールが築いた
14世紀のティムール帝国(モンゴル系)の首都がおかれた
ティムール帝国は のちにインドまで進出しムガル帝国を立ち上げ19世紀まで続く
ティムール帝国は約100年間の繁栄ののちウズベク人によって滅ぼされる
8月末 東洋音楽祭 世界各国から音楽家が集結する
(アミール ティムール廟 通称 グル アミール廟)
祭壇に置かれた棺は飾り物で 本物の棺は地下にあった
しかし人々は祭壇に置かれた空の棺に向かって手を合わせる
地下にある本物の棺は1941年にソ連の調査隊により一度だけ棺の蓋があけられた
蓋を切断し中から出てきたのは戦で負傷した
アミールティムール(1336~1405)本人の遺体であった
遺体の頭蓋骨から復元したティムールの自画像 典型的な遊牧民の顔立ち
ティムールはもともと中央アジアの遊牧民であった
のちにティムール一代で巨大な帝国を築く
ティムールの野望はあのチンギスハーンが果たせなかった世界征服であった
またティムールは豪華な建物を次々と築いたにもかかわらず ずっとテント暮らしをしていた
(サマルカンドブルーのタイル)
ティムールから連れてこられたタイル職人の祖先が今もここで働き続けている
約600年前 中国から伝わった陶磁器の技術とペルシャから運ばれた顔料が結びついて
サマルカンド伝統の青いタイルが完成した。
酸化コバルトが青い原料の元 さらに独特なつやを出すため草を混ぜた
石臼で引きうわぐすりにする 塗った直後は赤茶げた色をしているが
焼くと青色に変色する いつの日か サマルカンドブルーと言われるようになった
モスクのような外壁には600年前の青いタイルが張られている
ウズベキスタンでは旧ソ連時代に破壊されたモスクの再建にサマルカンドブルーのタイルが欠かせない
青さの秘密はイシクールと言う枝(木)を焼いて灰にしてから使う
(レジスタン広場 レギスタン広場)
モスクが大きく 建物の高さは30メートル
マドラサ(神学校) イスラーム学校 入場料 約750円
(ティラカリ メドレセ)レギスタン広場にある3つの建物のうちの一つ
1660年に建てられた 広場の正面に立つ建物
(ウルグベク メドレセ)レギスタン広場にある3つの建物のうちの一つ
1420年に建てられたイスラムの神学校 ※ブハラにも同じ名前の建物がある※
(シェルドル メドレセ)レギスタン広場にある3つの建物のうちの一つ
1636年 17年の歳月をかけて建てられた
偶像崇拝を禁じてるイスラムにおいては珍しい動物の絵
ティムール(帝国の覇者)は もともと動物と共に暮らす遊牧民出身であったため寛容だったとも言われている
(グーリ アミール廟)
インド タージマハルと同じイスラム ムガル建築
(アフラシ アーブ遺跡 アフラシヤブ) 紀元前500年から紀元後1220年まで
商いの天才 ソグド人が築いた町の遺跡
遺跡からはギリシャ風のコインやソグド宮殿を飾った壁画などが発掘されている
ソグド文字も残っている
ソグド人はゾロアスター教を信仰していた。
13世紀まで繁栄していた町もモンゴル軍の襲来にあい
多くの住民が虐殺された その後 ティムールが 廃墟となった町に新たな街を作り都を築いた
(シャーヒ ズィンダ)イスラムの聖地
大きなイスラム建築群 モスクのようでもあるが
すべてはティムール一族の墓
(サマルカンド紙作りの工房)
サマルカンドペーパーは光沢があり シルクペーパーとも言われている
工房では水車が回っている 木槌で打ち餅つきのように叩き繊維を紙にする
もともとはタラスの戦い(8世紀)に中国人の捕虜から伝わった技術
※タラスの戦い=唐(中国)とアッパース朝(イスラム)の戦争※唐が敗北
16世紀にきめの細かいサマルカンド紙として完成する
その紙の技術は そこからヨーロッパへと伝わった
それまでは 紙よりもぶ厚い 羊の皮を使い文字が書かれていた
紙は主に公文書に用いられた サマルカンド紙は千年もつと言われている
しかし20世紀 産業化の波に押されて多くのところで作られなくなってしまった
ある絵描きはサマルカンド紙で書かれた古い本の余白を利用して絵を描く
しかし 近年 ソ連時代には途切れてしまった伝統の文化が 復活している
(ウルグベク天文台)
昔は最も正確な暦を図っていた
かつて高さ40メートルあった 今残るのは地下部分のみ
(ルハバット廟)
(イシュラトハナ廟)
(ビビハニム モスク)
サッカー場がすっぽり入るほど広大なモスク
1399年 インド遠征から帰ってきたティモールが帝国各地から200人の職人と500人の労働者を集め建設
さらに95頭の象も建設に携わった モスクはティムール亡くなる1年前(1404年)に完成した。
(ハズラティー ヒズル モスク)
(アフラシャブの丘)アフラシャブとは初代 ソグド王の名
モンゴル軍に破壊される以前のサマルカンドの町が丘の上にあった
丘は4つの扉からなる城壁に囲まれていた アフラシャブ博物館にその模型がある
そのほかアフラシャブ博物館にはアフラシャブの丘から見つかったアレクサンドロス大王のコインや
ゾロアスター教の祭壇などを展示している
(ダニエル廟)
(サマルカンド 郷土史博物館 )
(シヨブバザール)
イスラム王朝 ティムール帝国時代から 600年以上続く市場
ドライメロン(干し葡萄入り)などドライフルーツが多い
もともとドライフルーツはシルクロード商人の貴重な保存食だった
ここで売られているナンがおいしいと評判
(サマルカンドワイン工場)19世紀末に操業開始
(絨毯工場)手織りじゅうたんの工場 見学ができる
<サマルカンド郊外>
(イマーム アリ ブハリ廟)
タジキスタン西部
パンジャケントПенджикент
(ウズベキスタンのサマルカンドから60キロのところ)
2016年 国境は閉まっていたが2018年現在 国境は開通している
アンシャントパンジャケント(ソグド人の古代都市遺跡)
8世紀 アラブ人の襲来を受け住民たちは町を放棄し逃げ出した。
5世紀に建てられたゾロアスター教寺院や宮殿跡の遺跡が残っている
<シャフリサーブス(シャフリサブス) > サマルカンドから約85キロ
7世紀 三蔵法師がインドへ向かう途中に立ち寄った記録が残っている
また帝国の覇者 ティームールの生まれ故郷でもある
1336年 ティムールはこの地方を納める豪族の家で生まれる
(アクサライ宮殿跡)
1380年に着工し ティムールが亡くなったあとの1405年まで建設が続いた。
ティムールが作った建築物の中で最も大きいとされている
現在は入り口付近の建物の一部のみが残っている 現在の高さは38メートル
崩壊以前は50メートル以上あった
(ドツッティヴァット建築群) コク グンバス モスク
(ドルッサオダット建築群)もともとティームールが埋葬される予定であった
ティムールの長男の息子が22歳の若さで戦死した時に建てられた建物
(カルタミノル)1852年に着工開始 いまだ未完成
完成すれば高さ70~80メートルになる予定だが工事は26メートルのところで止まっている
(ムハンマド アミン ハン メドレセ)1852年に建てられた神学校
(クフナ アルク)昔の監獄後 今は人形などを使って当時の残酷さを伝えている
(パフラヴァン マフムド廟)
<もくじ>
1基本情報&文化と料理
2タシケント
3サマルカンド
4ヒヴァ
5ブハラ
6その他の名所
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