3ヒエラポリス遺跡
入口のところには高さ8メートルの門がある
門をくぐった先には長さ2キロの石造りの床となっていた。
ヒエラポリス遺跡は19世紀の町に発見され今も発掘作業が行われている。
紀元前2世紀 古代帝国ペルガモンの王 ユウメレス2世(又はエルメレス2世)がパムッカレ温泉の上に都を創建した。
町には市民のための市場や教会が作られた。
王妃の名にちなんで町はヒエラポリスと名付けられた
その数年後 ローマ皇帝 ハドリアヌス によって占領される ヒエラポリスはその後1500年間栄えた都市となる
紀元前144年の最盛期には4万5千人がヒエラポリスで暮らしていた。
ヒエラポリスの下にパムッカレ(棚田状の広大な温泉)がある
昔から温泉は病気を治すとされてきた。そのためヒエラポリスはローマ皇帝の保養地をして利用された
1354年 ヒエラポリスは大地震に見舞われ町は壊滅状態となった。
人々は町を出て行きヒエラポリスの町は廃墟となった
その後 ヒエラポリスは衰退し19世紀末 遺跡が発見されるまで人々に忘れられる存在となった。
3世紀 ローマ皇帝 ハドリヤノスにより建設された
丘の上の円形劇場には1万人~1万5千人収容可能
高台の斜面を利用して作られた観客席からは町全体を見渡せた。
ヒエラポリスに来た商人をもてなすため円形劇場では毎晩のように演劇や遣唐使の戦いが行われていた。
ギリシャ神話の最高神ゼウスとゼウスの娘アルテニスの像
アルテニスの幼少期 アルテニスは父ゼウスの膝の上に腰掛けている
アルテニスの双子の兄 アポロスの姿もレリーフとして残っている
アポロスは敵の皮をはぎ女神と踊る様子が描かれている
北ビザンチン門ほか 今でも遺跡には古代ギリシャ神話の神々からなる石像が多く残っている
1世紀 ローマ皇帝に捧げるために造られた。
幅13メートル 長さは1.6キロの都市の北と南を結ぶ大通りの入り口に立つ3つのアーチ状からなる門
旧石器時代に起源をもつ遺跡 まだ10分の1ほどしか発掘作業を終えていない
1999年に起こった大地震の後 姿を現した洞窟
発見されたばかりの新しい洞窟 第2のパムッカレとも言われている
見学は一部の洞窟のみ
石灰岩の白い岩壁に覆われた洞窟
5世紀 創建
今は建物を支えていた8本の柱だけが残っている
ローマ時代トルコにキリスト教を広めにやってきた聖フィリッポが祀られた教会跡
ローマ神 アポロンを祀った神殿 冥界(めいかい)への入り口とされた
かつては神殿の壁から多くの水が流れ いけにえの儀式が行われていた
アポロン神殿の遺跡からは今も火山ガスが噴き出している場所がある
かつてはそのガスを吸い夢うつろとなった預言者が神のお告げを伝えていたとされている
またガスの吹き出しこうは死後の世界への入り口だとされていた。
死をまじかに控えた多くの患者が ここで最後の時を過ごした。
ここを死に場所に選んだ多くの人がローマ帝国各地から訪れた。
今は危険防止のため柵が設置され立ち入り禁止となっている
ヒエラポリスの北側にあるメクロポリスは死者の町と言う意味
円形のお墓 ヘルニズム時代から キリスト教が普及し始めるまでの800年間使われてきた共同墓地
墓の入り口には様々な年代の石板が置かれている
墓石には故人が生前行っていた職業が書かれている。
聖フィリップスを祀る教会
ローマ帝国がキリスト教を容認した5世紀ごろ建てられた教会
聖堂は八角堂とも言われている
かつて大浴場は高さ5メートルの石灰岩でおおわれていた。
浴場には庭園や遊戯施設も置かれた市民の娯楽施設でもあった
プロニウムはローマ時代浴場に温泉水を引いていた その温泉水を通すための人口的に作られた洞穴
現在のヒエラポリス博物館も もともとは大浴場として使われていた。
大浴場からは妖精の像が見つかっている ただ地震の影響で妖精の頭は取れてしまった。
<目次>
1エーゲ海文化と食
2イズミル ニカイヤ(イズニック)
3ヒエラポリス遺跡
4パムッカレ(ヒエラポリス温泉施設)
5ブルサ1(モスク)
6ブルサ2(温泉や博物館)
7ハットゥシャ遺跡とトロイの木馬
8エフェス(アフロディシアス)遺跡
9ベルガマ
10アンタルヤ
11南西部(ボドルムとフェティエ)
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