追加情報 タイの歴史2
16世紀
16世紀のアユタヤ時代にできた寺院 ワットアルン=マルコポーロの像 三島由紀夫の小説に登場 三島はクーデター未遂で死亡
16~17世紀 アユタヤ王朝でベンジャロン焼きが造られた
1511年 マラッカ(マレーシア)を占領したポルトガルが外交使節をアユタヤ(タイ)に送った タイの歴史上初めての欧米勢力との接触だった
1516年 再びポルトガルの使節がアユタヤ(タイ)を訪れ アユタヤ国内の通称許可を求めた
1520年 ランサーン王国(ラオス)の国王はチェンマイ王国(タイ)の妃を受け入れる
1523年 ラーンナー王国(チェンマイ)はチェントン(ミャンマー)出兵し大敗を期す
1524年 タイに水害が発生し多くの被害者を出した
16世紀に建てられたパタニ最古の煉瓦モスク 巨大涅槃仏
1546年~1564年 タイ アユタヤ王朝統治時代 アンコールワット内の第一回廊北面とその付近に彫刻を18年かけて彫り上げた
1542年 ブルネイはタイへ貿易船を派遣する
1548年 タウングー王朝(ミャンマー)とアユタヤ王朝(タイ)の間に1回目の戦争が起こる 緬泰戦争(又は泰緬戦争)
戦闘の切っ掛けはアユタヤで起こったクーデターに目を付けたタウングー王朝(ミャンマー)が領土拡大をたくらみ軍事介入してきたことに始まる
タウングー王朝はポルトガルの傭兵からなる鉄砲隊700人を雇った 一方アユタヤ王朝も防衛のためにポルトガル人の傭兵を起用する
戦闘の結果はアユタヤがタウングー王朝(ミャンマー)の侵入を防ぎアユタヤ王朝の勝利
両国の戦争は19世紀まで19回も起こった
1557年 タウング王朝(ミャンマー)によりラーンナー王国(タイ チェンマイ)が陥落する
1558年 ラーンナー(タイ)王国はビルマの支配下にはいる
1563年~翌年にかけて すでに占領し終えたラーンナー王国(タイ チェンマイ)の軍を引き連れタウング王朝(ミャンマー)が再びアユタヤ王朝(タイ)へ攻め込んできた そしてそのままアユタヤを占領する
1563年 スコータイ王朝はタウングー王朝の属国になる
1574年 タイやラオスを支配下に置いたタウング王朝(ミャンマー)は中国雲南省 景紅のシップソンパーンナーを支配下に置く
1581年 アユタヤ王朝はタウング王朝(ミャンマー)からの独立を果たす。
1583年 スコータイ王朝はアユタヤ王朝に滅ぼされる※スコータイの王族は100年以上前にアユタヤ朝により消滅している※
1592年 オランダがアユタヤに使節を送り通称許可を取得し米の輸出に関する大きな影響力を得る
17世紀 タイやベトナムの王朝がカンボジアへ侵略する
17世紀初頭 アユタヤ王朝は800人の日本人傭兵を雇う
それを切っ掛けに アユタヤの日本人町には1500人の日本人が定住した 日本人街の住居跡がある 日本語で書かれたお墓のような石碑がある
山田長政の石像
1630年 山田長政(傭兵として王朝にやとわれた人物)はイスラム勢力 パタニ軍と交戦し暗殺される アユタヤ王朝が殺害にかかわっていたとされている
(同年) アユタヤの日本人街は王朝の後継者争いに巻き込まれ アユタヤ王朝に日本人街は焼き討ちに会い焼失した その5年後 日本からの朱印船も廃止され タイと日本との交流が途絶えた
イギリスやオランダがタイに工場を建設するなど新勢力がアユタヤ(タイ)で力をつけた 一方 ポルトガルと日本は衰退していった
1661年 アユタヤ王朝(タイ)はラーンナー(タイ チェンマイ)を攻める
1662年 アユタヤ王朝はビルマ(ミャンマー)のペグーを攻め落とした その時代 アユタヤ王朝は最盛期を迎える
1664年 アユタヤ王朝の独占貿易に反対したオランダ人がタイのチャオプラヤ川でポルトガル国旗を掲げ中国商人をとらえる事件が発生する その後フランス人が事件の鎮圧にあたった
18世紀 カーヴィラ王(タイ)がビルマ(ミャンマー)からチェンマイ(タイ)を奪還
1701年 ビルマ コンバウン朝に占領されていたラーンナー王国は2分割される
1749年 アユタヤ王朝はカンボジアを攻めカンボジアを占領する しかしアユタヤ王朝は その後 衰退する
1765年~1767年 コンバウン王朝ミャンマーとアユタヤ王朝シャム(タイ)の間に戦争が起こる 結果 426年続いたアユタヤ王朝はこの戦争で完全に滅亡した
1767年 アユタヤ王朝の崩壊に伴い タイ人の華僑(中国広東省潮州系)タークシーンがタイのバンコクでトンブリー朝を開く
トンプリー王朝はビルマ(ミャンマー)の勢力を一掃した
1771年 トンプリー王朝(タイ)はカンボジアへ2度進行する
1776年 ビルマ タウングー朝は清との戦争に伴い タイ領にいた兵士が撤退させた。
1777年 ビルマ(ミャンマー)が再びシャム(タイ)に攻め込んでくるがシャム王国はビルマの軍勢を撃退する
1778年 ラオスのルアンパバーン王国 ヴィエンチャン王国 チャンパーサックの3王朝はトンプリー王国(タイ)の属国となった
1779年 ラオス南部のチャンパーサック王国もシャムの支配下に置かれる これでラオス全土がシャム(タイ)の支配下に置かれた
しかしシャム王国のラオス統治は緩く ヴィエンチャン王国は大きな自治権を認められていた。
1782年 タイ国内でクーデターが発生しトンプリー王朝(タイ)は崩壊する
タークシン王(タイの華僑 全王朝の王)を処刑したラーマ1世がチャクリー王朝(タイの現王朝)を立ち上げる
トンプリーのタークシン王(タイ人華僑)はラーマ1世により処刑される
ラーマ王はバンコクに都を開いた
ワットプラケオ 王室専用寺院 1782年創建 タイで唯一僧侶のいない寺院
ワットポー ラーマ一世が1788年に建てた
バンコク 王宮 18世紀 チャクリー現王朝
(ヤワラート中華街)230年前に誕生したチャイナタウン 漢方中華 宝石 糸で顔の産毛を取る 金行(金製品の販売)
一昔前までは中華街がバックパッカーの聖地だった 以前は麻薬と売春婦が多く治安が悪かった 日本食を出す食堂 北京飯店(※2012年閉店)
18世紀 カーヴィラ王はビルマからチェンマイを奪還
1821年 タイはラーマ2世の時代 当時イギリスが統治していたマレーシア領(マレー半島)の一部とペナン島(マレーシア)を占領した。
1826年 ナコンラチャシーマの町の中心に ラオス軍を撃退したヒロインの像
(同年 1826年) タイはイギリスとの間で通商条約(それほど不平等ではない条約)を締結した
1828年 ヴィエンチャン王国はシャム王国に反乱をたくらむもルアンパバーン王国に密告され
1831年 タイが当時ベトナム領だったカンボジアの領土を狙い第一次泰越戦争(タイVSベトナム)が勃発する 結果 ベトナムがタイを撃退しカンボジアの領土を守った
タイが当時ベトナム領だったカンボジアの領土を狙い第一次泰越戦争(タイVSベトナム)が勃発する 結果 ベトナムがタイを撃退しカンボジアの領土を守った
ベトナム史上 最大の領地を所有する事となった
同年 それまで昇竜(タンロン)、東京(ドンキン、トンキン)、東都(ドンドー)などと呼ばれてきたハノイが その年 ハノイと呼ばれるようになった
1833年 タイはアメリカと外交上の条約を結んだ
1841年 第二次泰越戦争(タイVSベトナム)が勃発する 戦後 両国に平和条約が結ばれ ベトナム領カンボジアはタイとベトナムが共同管理することで決着した
1949年 タイ メーサロン 中国国民党軍兵士がビルマを経由しこの地へ移住 武装解除と引き換えにタイの国籍を取得
(泰北義民文史館)ビルマとの戦いで戦死した国民党軍兵士の慰霊のお寺
1855年 タイ王朝はイギリスにバウリム条約と言う不平等条約を結ばされる
イギリスがタイでの貿易を自由に行わさせる条約 あと関税の減税 ただ食料の確保だけは許された(この時期 日本もアメリカから同じようなことをされていた)
1856年 タイはフランスとアメリカにも同じような不平等条約を結ばされた
(同年) 中国 雲南省で回族(イスラム教徒)とビルマ人(ミャンマー)清朝に対してパンゼーの乱(内乱)を起こす。内乱の死者は100万人 ミャンマー タイ ラオス は難民で溢れた。 内乱は17年続いた。
1858年 デンマークと同じ条約を結ばされた 翌年 ポルトガル オランダとも不平等条約を結ばされる
1863年 カンボジアはタイやベトナムの脅威から逃れるため自らフランスの保護国となった そして その後 フランスがカンボジアを統治することになる
1863年 その後フランスは当時タイの領土であったカンボジアを占領する
1867年 フランスがカンボジアを統治することをタイが正式見認めた それにより カンボジアはフランス領インドシナに編入されることが決まった
1893年 ラーマ5世(明治天皇と2歳違い)の頃 バンコクにフランスの軍艦がやって来る
パークナム事件が勃発する フランスが当時 タイが所有していたラオスの領土を狙って攻めてきた
またラーマ5世は工業を起こしタイの近代化に貢献した
1909年 フランスとイギリスの脅しに屈したタイは戦わずして国土の半分以上の領土を失う 領土をフランスとイギリスに分け与えることで戦争を回避した
フアラポーン駅(1910年) ドイツ フランクフルト駅がモデル もともとは飛行船の収納(かくのう)庫だった ラーマ5世の肖像画が掲げられている
1920年 タイは国連に加盟する
1921年 タイはアメリカとそれまで結んでいた不平等条約を改正した
1932年 タイは新憲法を作り絶対君主制から立憲君主制へと移行した
1937年 欧米各国に結ばされた不平等条約は すべて改正された
1939年 国名をシャムからタイへと変更した
1940年 カンボジアとラオスの領土をめぐってタイとフランスの間で衝突が発生する。タイ・フランス領インドシナ紛争が勃発する 約半年間続いた戦闘はタイ側の勝利
タイはラオス カンボジアの一部の領土をフランスから取り戻す
またタイのバンコクにはこの時の勝利を記念する記念碑が建っている
1941年 第2次大戦中 日本軍がタイの領土に駐留する
日本軍はカンチャナブリにアルヒル桟道橋などタイとミャンマーに鉄道を建設した
1945年 タイがフランスとの戦争で勝ち取ったラオス カンボジアの領土(一部)は第2次大戦後 再びフランスが統治することとなる
戦中は日本軍に協力していたタイだったが終戦間際 うまいようにひるがえり戦勝側に付く 結果 戦後も領土を維持し独立を保った
1946年 スイスから帰国したラーマ8世が射殺され不幸な死を遂げる
タイがフランスとの戦争で勝ち取ったラオス カンボジアの領土(一部)は第2次大戦後 再びフランスが統治することとなる
1947年 軍事クーデターが発生する プリーディー首相が海外亡命した 憲法は廃止され暫定憲法が公布される
1949年 タイ メーサローン 中国国民党軍兵士がビルマを経由しこの地へ移住 武装解除と引き換えにタイの国籍を取得
1950年 ラーマ9世 プミポン国王が即位する
1957年 暫定政権が誕生 その年 選挙も行われた 新政権が成立した
1960年代 外国企業をタイ国内に誘致しアメリカのフォードや日本の自動車メーカーもタイに工場を構えた
1966年 タイはベトナム戦争でアメリカを支援し米軍にタイ国内の基地を提供した。タイを飛び立った米軍戦闘機がベトナム ハノイで空爆を行った
タイのウドンタニーや沖縄や横須賀(日本)の米軍基地からも戦闘機が飛び立ち爆撃に加わった
北爆(北ベトナム空襲)では 8万トンの爆弾(原爆4個分)の空爆を行う
1967年 東南アジア諸国連合 東南アジア10か国からなる アセアンが設立される
1973年 十月革命や血の日曜日事件など市民デモが発生し警察官と衝突する 77人が亡くなった デモは翌年まで続く
デモの後 反共産党が政権を取り その後 軍事政権が政権を取る
1980年と1984年にラオスとの国境で銃撃事件が起こった
1987年にはタイとラオスの間で軍事衝突が起こった
1988年 タイとラオスの間に和平が提携され停戦協定が結ばれた
(同年) タイで総選挙が行われ国民党が第1党となる
1992年 政治不信から始まった民主化暴動 暗黒の5月事件発生する
2001年 タイはアジア通貨危機を脱しないまま新憲法の元 総選挙が行われ タイ愛国党が政権を取り 実業家出身のタクシン首相(中国系タイ人)が誕生する
2005年 愛国党が選挙で圧勝し 農民の借金を3年間猶予したり 農民ひいきの政策を実行する すべての村に100万バーツを支給したり バラマキ政策を行った
そのためタクシンは貧困層から多くの支持を得た
しかしタクシンは都市部の起業家を敵に回した インテリ層からなる反タクシン派が結成された
2006年 タクシン一族の不正が発覚し 10万人規模なデモへと発展する デモによる政権交代が起こり軍事政権が政権を取る
(同年)タクシンは海外亡命する
2008年には デモが暴徒化し空港が占拠された(赤集団VS黄集団) 反タクシンは王宮カラーの黄色のTシャツを着て タクシンは赤のTシャツを着ていた
(同年) タイとカンボジアの国境にある世界遺産プレアビヒア(タイ名 プラーサート・プラウィハーン)が2008年 カンボジアの世界遺産として登録される
それに抗議したタイ軍とカンボジア軍の間で国境紛争が発生した。死傷者10数人を出す惨事となった
その後 国際司法裁判所で両軍の撤退を命じられ 判決の結果 プレアビヒアはカンボジアの領土と認められた
2009年にもバンコクで負傷者100人を出すデモが発生する
2010年 暗黒の土曜日(暴動)が発生する
2011年 タクシンの妹 インラックがタイ史上初の女性首相となる
(同年)タイで大規模な洪水被害が発生する アユタヤ遺跡も一部水没した
2013年 再び大規模な反政府デモが勃発し25万の暴徒化したデモ隊が選挙の妨害を行った
2014年 インラック首相は失脚 再び軍事政権が政権を取った
2016年 国民から絶大な人気があった プミポン国王が88歳で死去した
2020年 国民からの不評が高い国王に対し王室改善を要求する数百万人のデモが発生した。
追加情報 タイの歴史1
追加情報 タイの歴史2
1 基本情報
2 バンコク市内
3 バンコク郊外~水上マーケット メークロン市場ほか~
4 アユタヤ遺跡
5 スコータイ
6 カンチャナブリ
7 クラビー
8 チェンマイ
9 ナコンラチャシーマ
10 スリン
11 ロッブリー
12 ノンカイ ウドンタニー
13 サンクラブリー
14 パッタヤー
15 チェンライ
16 ウボンラチャターニー
17 メーホンソーン&タートパノム&カオヤイ自然保護区
18 その他の名所
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